大判小判は昔のお金ですよね?これも査定買取してもらうことはできるのでしょうか?
はい、可能です。本物の大判小判は、いわゆる「古銭」として扱われ、売買することが認められています。
実際に大判小判を査定すると、どれくらいの値段がつくものなのですか?
現代の価値にすると、最高で1,000万円の値段がつくといわれています。
今回は、大判小判の種類や歴史に触れながら、現代的な価値について解説していきましょう。
大判小判の歴史的価値
人類史上、長い長い歴史をもつ「金(きん)」。
この輝く金属は、権力・富・価値の象徴として特別な扱いを受けてきました。
日本の歴史を振り返ると、最も有名なのはやはり「金貨」すなわち「大判」「小判」ですね。
大判の歴史的価値
大判は室町時代以降に、恩賞やお祝い事で送られるものとして作成されました。
当時から価値が非常に高く、またサイズも大きいことから庶民の間ではあまり流通しなかったようです。
また、手書きで墨書きがされていた影響もあり、発行枚数も少なかったようです。
現代では、「貨幣」としての価値だけでなく、「古銭」としての価値も併せて評価されます。
特に、古銭としての評価が非常に高く、安くても200万円、高いものであれば1,000万円以上の金額でやりとりされることもあります。
小判の歴史的価値
小判は、江戸時代に入り金山の管理や製造体制の整備が進められたことによって庶民にも広く広まるようになった貨幣です。
小判も大判と同様に「古銭」としての価値が高く評価されており、状態やプレミア価値によっては50万円から200万円程度でやりとりされることもあります。
特に、小判は庶民の中で流通が多かったため、先祖代々続く家の蔵などを探してみると意外に見つかることがあります。
大判小判はどちらも「古銭」としての評価が高いんですね。
その通り。かつての貨幣制度の象徴でもあるため、評価が高いとされています。
大判小判の金製品としての価値
大判小判の価値を測る上で歴史的価値が関わっていることはここまでで説明しましたが、大判小判は金の含有量(≒純度)でも、価値が変動します。
金の含有量が高い大判小判ほど、価値が高く高価格でやりとりが行われます。
実は江戸時代は、何度も金貨の「改鋳」(かいちゅう)が行われてきました。
※改鋳とは、大判小判に含む金銀の割合を変更することをいいます。
そのため基本的には、「江戸末期に進むにつれて金の含有量が減っている」と考えるとわかりやすいですね。
たとえば、江戸末期につくられた「万延小判」(まんえんこばん)の重さは、江戸初期の「慶長小判」(けいちょうこばん)のわずか1/6程度で、金の含有量はなんと90%減。
逆にいうと、慶長小判は、相当な量の金を含有していたわけです。
なるほど。持っている大判小判がいつ頃作られたものなのかを把握することが、価値を知ることに繋がるんですね。
その通り。ここからは大判小判の種類別に特徴・現代の価値を説明していきます。
大判の特徴を種類別に解説
大判は、大型で楕円形、金塊を叩き延ばしてつくられた、非常に純粋な金貨幣の一つです。
先述しましたが、大判は格式の高い金貨であり小判に比べると流通量が少なく、希少性があります。
主な大判には、「天保大判」「慶長大判」が挙げられます。
天正(てんしょう)大判
時代は安土桃山時代から江戸時代の初期。
豊臣家の命により鋳造された大判です。
天正大判には、さらに3つの分類があり、古い順から「天正菱大判金」「天正長大判」「大仏大判」が存在します。
中でも天正菱大判金は、現在6枚しか残っておらず、日本古銭の中で最も高い価値があると言われており、7,000万円以上の価値があると言われています。
慶長(けいちょう)大判
時代 | 17世紀初頭 |
金品位 | 68% |
相場 | 400万円~1,000万円以上 |
江戸時代が幕を開けた初期(慶長6年/1601年)から存在するのが慶長大判です。
わかりやすい特徴は、表面の「拾両後藤(花押)」という墨書(ぼくしょ)。
慶長大判は、当時の江戸の貨幣市場にはほとんど一般流通しておらず、主に褒美(恩賞)や儀礼的な贈答として使われていました。
大判を黄金色に輝かせるために、意図的に銅を混ぜ入れたといわれており、審美性を持たせているといわれています。
歴史的な価値だけでなく、コレクションとしても間違いなく一級品の大判です。
元禄(げんろく)大判
時代 | 17世紀後半 |
金品位 | 約52% |
相場 | 100万円~ |
元禄8年(1695年)に登場した元禄大判は、金品位が50%程度に下げられ、江戸期の大判のなかではかなり大量に鋳造された金貨として知られています。
ただし、現存する元禄大判は数少ないとされ、いまでは希少価値が高くなっています。
表面の墨書は「拾両後藤(花押)」となっており、形は角ばった楕円形です。
享保(きょうほう)大判
時代 | 18世紀半ば |
金品位 | 約68% |
相場 | 100万円~ |
享保大判は、享保10年(1725年)に鋳造された金貨です。
墨守は、「拾両後藤(花押)」でやや角ばった楕円形ですが、慶長大判よりも撫肩になっています。
享保大判は、はじめて貨幣レートが設定された小判としても知られていますが、現存数は非常に少なく希少価値が高くなっています。
天保(てんほう)大判
時代 | 19世紀半ば |
金品位 | 約67% |
相場 | 100万円~ |
天保9年(1838年)に鋳造・流通した天保大判は、享保大判よりも若干金品位が低い金貨です。
見た目も享保大判金によく似ていますが、模様が太く、上下左右に押されている極印にも違いがあります。
1,887枚しか鋳造されておらず、非常に希少価値が高い大判ですが、墨書きの書き直しなどにより相場は変動しやすい一品です。
万延(まんえん)大判
時代 | 19世紀中盤以降 |
金品位 | 37% |
相場 | 数万~10万円 |
万延元年(1860年)に鋳造された万延大判は、日本で最後となる大判です。
金品位は歴代の大判の中でも低く、相場は安めですが、保存状態によっては200万円などで高額買取してもらえることもある一品です。
どれもびっくりするくらい相場が高いですね!
大判は歴史的価値も高く非常に貴重なため、高額で流通しやすいです。
小判の特徴を種類別に解説
先述したように、小判は庶民にも広く広まった貨幣のため、一般家庭の蔵に眠っていたり、アンティーク品として古物市場に頻繁に流通したりしていますので、意外に身近な存在です。
代表的な小判として、「駿河墨書小判(するがすみがきこばん)」「武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん)」「慶長小判」「元禄(げんろく)小判」「宝永(ほうえい)小判」があります。
これらの詳細について見ていきましょう。
駿河墨書(するがすみがき)小判
時代 | 16世紀後半 |
金品位 | 約84% |
相場 | 極めて希少なため数千万円の価値あり |
一説では文祿4年(1595年)頃に登場したといわれる日本最古の小判が駿河墨書小判です。
肩がなく丸い形状をしているのが特徴で、徳川家か豊臣家が鋳造を命令したといわれています。
金品位それ自体に価値があるというよりも、その歴史的価値と希少性から、数千万円の価値がつくと想定されています。
武蔵墨書(むさしすみがき)小判
時代 | 16世紀後半 |
金品位 | 約84% |
相場 | 極めて希少なため数千万円の価値あり |
駿河墨書小判と並んで最古の小判といわれているのが武蔵墨書小判です。
形は楕円で駿河墨書小判よりも若干重いと言われています。
発行枚数が非常に少なく、希少性が非常に高いため、駿河墨書小判と同じく数千万円の価値がつくと想定されています。
慶長(けいちょう)小判
時代 | 17世紀初頭 |
金品位 | 約84% |
相場 | 状態によって数十万~数百万円 |
江戸時代を代表する小判といえば、慶長小判です。
大判と同じく慶長6年(1601)に鋳造されました。
天下をとった徳川家の威光を全国に示す金貨で、歴史的にも非常に価値のある小判です。
元禄(げんろく)小判
時代 | 17世紀後半 |
金品位 | 約57% |
相場 | 30万円~ |
元禄8年(1695年)に鋳造されたのは元禄小判。
「元禄の改鋳」を象徴する金貨で、貨幣の流通量を増大させる目的で改鋳が行われたといいます。
金の産出不足ということもあり、元禄小判の金品位は少ないですが、慶長小判と同様に貨幣市場に広く流通し、当時の人々の生活を支えてきました。
宝永(ほうえい)小判
時代 | 18世紀初頭 |
金品位 | 約84% |
相場 | 100万円~ |
宝永7年(1710年)に登場した宝永小判は、脆く折れやすかった元禄小判の次の市場通貨として流通していきました。
金品位を慶長小判と同等に高めて製造されましたが、当時の金不足のため大きさは慶長小判よりもひとまわり小さいのが特徴です。
「宝永金」(ほうえいきん)「乾字金」(けんじきん)とも呼ばれています。
正徳(しょうとく)小判
時代 | 18世紀初頭 |
金品位 | 約84% |
相場 | 100万円~ |
正徳4年(1714年)に登場したのが正徳小判です。
新井白石(あらいはくせき)が、当時の金貨事情を憂い、徳川家の威信を保つために金品位の高い小判づくりを主導したことにより製造された歴史を持ちます。
しかし不幸なことに、巷では「慶長小判よりも質が低い」という悪評が広まってしまいます。
結果、たった数ヶ月で「吹き替え」(改鋳)の運命を辿ることに。
不遇な小判ですが、徳川家の威信をかけて金品位を高めただけあって、相応の価値がついています。
享保(きょうほう)小判
時代 | 18世紀初頭 |
金品位 | 約86% |
相場 | 50~100万円 |
正徳4年(1714年)に流通した小判が享保小判です。
この金貨もまた、正徳小判と同様に、金品位の低い小判からの脱却を目指して作られた小判になっています。
材料として、既に流通している元禄小判や宝永小判を用いた影響で、貨幣の流通量が減り、庶民に打撃を与えた小判としても知られています。
元文(げんぶん)小判
時代 | 18世紀半ば |
金品位 | 約66% |
相場 | 10~50万円 |
元文元年(1736年)から市場に流通した金貨が元文小判でした。
第八代将軍・徳川吉宗の時代は武士・農民がともに経済的に困難を強いられる時代でした。
そこで貨幣の流通量を増大させるべく、あえて金品位の低い小判を流通させ財政の再建に成功しました。
その成果が元文小判だったわけです。
文政(ぶんせい)小判
時代 | 19世紀半ば |
金品位 | 約56% |
相場 | 10~50万円 |
小判のうしろに草書体の「文」の文字が刻まれていて、「草文金」とも呼ばれる文政小判は、文政2年(1819年)に登場しました。
金品位は低いですが、贈呈用として特別な文政小判も鋳造されていたようで、現代の一部のコレクターには根強い人気があります。
天保(てんぽう)小判
時代 | 19世紀半ば |
金品位 | 約57% |
相場 | 数万~十数万円 |
明治時代になるまで市場に流通していた天保小判は、天保8年(1837年)に鋳造されました。
当時の金不足のため金品位は低いですが、献上のために特別に鋳造された天保小判には「大吉」の印が刻まれており、かなり縁起のいい小判として評判です。
安政(あんせい)小判
時代 | 19世紀中盤以降 |
金品位 | 約57% |
相場 | 50~100万円 |
開国による対外政策の悪戦苦闘ぶりが伺えるのが、安政小判です。
アメリカに押し切られて承諾したドル交換レートにより、日本国内の貴重な金が海外へたくさん流出していきました。
少しでも金の流出を防ぐために生み出されたのが、金品位の低い安政小判だったのです。
しかし残念ながら、アメリカ側の反発により、登場してからたった数ヶ月で鋳造が停止に。
流通量が少ないために、安政小判は非常に貴重な存在になりました。
万延(まんえん)小判
時代 | 19世紀中盤以降 |
金品位 | 約57% |
相場 | 2万円~10万円 |
江戸最後の、開国とアメリカとのドル交換レートの混乱のさなかに登場した小判で、歴史的に意義深い金貨として高く評価されています。
小判は江戸の経済事情と深く関わっているのですね。
江戸初期に登場した「慶長小判」が世代を経ても人々に一目置かれていたのは興味深いといえるでしょう。
買取専門店に大判小判を売る際の注意点2つ
大判や小判は、そのほとんどに高い価値があり高値で売ることができます。
ただし、買い取ってもらう際には注意点もあるので2つ紹介します。
①買取実績=信用力
悪質業者や認知度の低い業者は、買取実績がありません。
とくに大判小判などの古銭買取は、目利きが非常にものをいいます。
真贋(本物・偽物)の区別から相場に見合った買取額を提示するには、プロとしての経験と実績の積み重ねがなければなりません。
まずはホームページを調べて、買取業者の取引実績を確かめておくことをおすすめします。
②店舗を持たない業者は注意
近年は、実店舗を持たずホームページ上で取引のほとんどを済ませる買取業者が増えてきています。
利便性は高いかもしれませんが、店舗のない業者は、何かトラブルが発生した場合に逃げられてしまう可能性があるため、実店舗を持つ買取業者へ依頼するようにしましょう。
買取業者の選び方は気をつけようと思いました…
悪徳業者もいますので十分注意して選びましょう!
まとめ
今回の記事では大判小判の価値や買取相場について解説しました。
大判小判と聞いて、自分には関係のないものと思いがちですが、意外と家の蔵や遺品整理で見つかることがあります。
思い出や資産として残しておくことも良いですが、もし気になる金製品がある場合には専門の業者に依頼してみてはいかがでしょうか?
- 大判と小判は古銭買取ができる
- 金の含有量によって査定額が異なる
- 江戸時代が進むごとに金の含有量は減っているが、歴史的価値の高いものは高額で買取されやすい
- 古銭買取の実績がある業者を選ぶことが大切
大判小判は、こんなにもたくさんの種類があったのですね。驚きました!
歴史的な価値も相まって、価値はある程度安定しています。もしお手元に大判小判がありましたら、まずは真贋のチェックも含めて、一度査定に出してみてはいかがでしょうか。